「海は昔、もっと綺麗な青だったんですって」
レットは学者先生の家に入り浸りで、様々な知識を学んでいた。
史学、工学、医学、薬学……
彼女は学者先生の家で何人かの師を得て、貪欲に全てを学んでいった。
彼女は学者先生の家で何人かの師を得て、貪欲に全てを学んでいった。
父親の心配をよそに、風力発電の稼働効率を改善してみせたりと、怪しい研究が実生活に役立つものだと証明して見せ、村の信頼を勝ち取っていた。
隣に座って同じ授業は受けたが、クロトには半分も理解出来なかった。
天才児。
誰もがレットをそう呼んでいた。
僕は、本当に君と釣り合うのか。
クロトは、そう思っていた。
だから……
( その青は、君の瞳くらい綺麗な青だった? )
気後れして、その言葉は口には出来なかった。
濁った青。
汚らしい緑青のような色に変貌した死体達。
砦の内部にまで入り込んだ、生ける死体……
そのおぞましい「何か」の襲撃を受け、聖騎士達はパニック状態となっていた。
生ける死体? 蘇った死者?
ふざけるな、それじゃまるで、学者先生の持っていた「むかし話」に出てきた……
ふざけるな、それじゃまるで、学者先生の持っていた「むかし話」に出てきた……
ゾンビ、みたいじゃないか。
……アレが何にせよ、逃げ出すなら今しかない。
監禁されていた建物を出て走り出した途端、目の前に拡がる地獄絵図。
しかし、怯え竦んでいる暇は無い。
考えるのは後。走るのが先だ。
……と、戦場を飛び交う怒号の中に、聞き覚えのある奇怪な声が混じっている事に気付く。
機械の身体から発せられる独特の音声…… スケルトンだ。
あの服装は、テックハンターか?
上級審問官の容姿、装備、名前。
幸運にも、知りたかった情報が一度に手に入った。
見たのは一瞬だが、それで十分。
銀の帷子に赤鎧。 長身・褐色のグリーンランダー。
あれが噂のヴァルテナか。 ……覚えたぞ。
後はここから逃げ出し、上官にこの情報を持ち帰れば……!!
幸い、こちらに気付いて追跡してくるのは一人だけ。
他の騎士達はそれどころではなかった。
正門を駆け抜け、堂々と脱獄を敢行。
父の形見の刀を奪われたままなのは心残りだが、それどころではないのはこちらも同じだ。
……足は、追手の方がわずかに速いか。
こういう時は……
斥候部隊に配属される際、散々教本から叩き込まれた鉄板戦法。
なすりつけだ。
運良く、眼前には徘徊する野良の鉄蜘蛛。
追手を第三者にぶつけるべく、その方向に走る、が……
単身で鉄の怪物に立ち向かう愚を冒さず、敵兵はわざとらしい捨て台詞と共に引き返していった。
長年互いに殺し合っているだけあって、互いに、こうすればどうなる、という所は弁えている。
放っておけば消える怪物相手に、わさわざ命を掛けてまで戦いたくはないだろう。
誰だって死にたくはないのだから。
そうだ。
こんな荒野で死んでたまるか。
クロトは走った。
あの海へ、帰る。
手柄を立て、侍になって、生きて故郷に帰る。
クロトは、予定された合流地点へ……
都市連合軍の駐屯地が立ち並ぶ、バスト地方へと向かった。
第一章:大砂漠編① バスト エンドイン
クロトは走り続ける。
北東に向かって。
砂漠を越え、岩山を駆け登る間にも、信じ難い光景を何度も目にした。
数え切れないほどのゾンビの大群が、山、谷、荒野、砂漠、場所を問わず歩き回っていた。
今にも倒れそうな身体でも、まだ走る事は出来る。
奴らの目に留まらないよう、慎重に歩みを進め、前進を続ける。
目指したのは、バストの北に位置する「衛兵詰所」として使われている監視塔。
高台から監視し、ホーリーネーションの侵攻をいち早く本隊に知らせる役目を負った塔。
ここに偵察部隊の司令部が置かれている。
あの塔に戻り、偵察の報告を行うのが本来の任務だ。
そして……
「クロト! 戻ったか!」
「アネイス隊長!」
都市連合・バスト方面軍 第5偵察部隊 隊長 ”侍軍曹” アネイス
「良かった! クロト、お前は生きていたか!」
「お前は、って……」
「斥候で戻って来たのはお前だけだ。アレのせい、なんだろうな……」
「そう、でしたか……
僕はゾンビ達のお陰で脱出出来て、ラッキーだったんですね……」
「ゾンビ?」
「故郷にいた学者先生の持っていた、むかし話の本に、似たようなのがいたんですよ。
蘇る死体。人を襲って喰う死者の群れ。ゾンビ……」
「名前が無いのも問題か。 よし、以後アレをゾンビと呼称する」
「そんなぁ さっき、ミドリンって呼ぼうって……」
「却下だ」
「僕は予定通り司令に報告に行こうと思います。
バッチリ、上級審問官の情報は掴んで来ましたから!」
「やるじゃないか、流石はあの人の息子だ!」
「っ! 痛てて…… ま、まあ、刀は取られたし、この有様ですけどね……」
「おっと、すまない。 怪我は酷そうだな。
我々も状況を整理したい。斥候を待つ予定時間も過ぎた所だ。お前に同行して塔に戻るとしよう」
「助かります。 今敵に襲われたら、どうしようもないですから……」
「よし。 あいつらには悪いが、これ以上は待てん。撤収だ!」
「「了解!」」
同期の顔が脳裏に浮かぶ。
それぞれがそれぞれに辛い目に遭ってきた、頼れる仲間達だった。
敵にやられたにせよ、アレに襲われたにせよ、あいつらは、もう……
斬られた傷で痛む胸を押さえながら、クロトは煩悶を振り払うように走った。
塔まで行けば休める。
最後の気力を振り絞り、隊長の後を追い、走る。
<都市連合領・バスト北部、監視塔>
バスト方面軍・偵察隊 総指揮官 "侍軍曹" カッシュ
「……報告は、以上です」
「ご苦労だった。あの光が何であるにせよ、あれがホーリーネーションの攻撃、という事は無いのだろうな。
そこは安心出来そうだ。
そして、上級審問官にはヴァルテナが選ばれたか…… これは厄介だぞ」
タカ派のヴァルテナが赴任して来たとなると、オクランの盾は「守る戦い」から「攻める戦い」に方針を変えて来ると予想される。
「だが、今はそれどころでも無い、か……」
外からは、今も戦いの騒音が聴こえてくる。
幸い、塔に向かってくるゾンビの数は大した事がなく、斥候部隊の装備でも十分対処可能な物だった。
都市連合も、ホーリーネーションも、同じくこの災厄に見舞われているはず。
「それどころではない」のは同じはずだ。
監視塔からは、ホーリーネーションの大軍が押し寄せて来るのが見えていたが、バストの軍本部に援軍を求められる状況では無かった。
が……
ホーリーネーション軍はゾンビの群れに阻まれ、撤退。
これでしばしの猶予が得られる事だろう。
「アネイス隊、戻って早々で悪いが、人手が足りん。
斥候にはパストとドリンに走ってもらう。
こんな時こそ、まずは定期連絡。状況確認を優先したい」
「司令、すみません。
斥候はもう、クロトしか残っていません」
「む、そうか……
他の部隊にも犠牲者が多い。困ったものだな」
「それに、クロトはパラディンから手傷を受けております。休ませてからでなければ……」
「そうだな…… エンドインへ走らせた斥候もいずれ戻るだろう。
クロト、しっかり休み、その後、バストへ走れ」
「了解!」
「よし! アネイス隊は、それまで我が隊と共に緑色の連中の迎撃だ!」
「「「了解!!」」」
「ったく、噂のフォグマンてヤツ……じゃねーよな、コレ」
「どっちでも構わん! 叩き潰すぞ!」
「おう!!」
(結局、夜明けまで戦い通しか…… 僕も、こうしちゃいられないな)
体調は戻った。
あの光を浴びて以降、謎の弱体状態となってしまった肉体はそのままだったが、傷はしっかりと塞がっている。
「お、起きたか、クロト。ちょっとこっち来て見てみろ!」
「はい!」
「お前は知識があったよな。コイツ、どう思う?」
「知識と言ったって、聞きかじりで…… って!」
「これ、ゾンビ、ですよね?」
「ああ。腕は一本もげ、内蔵も抜いてみちゃいるんだが、まだ生きてやがる」
「本で見たフォグマンそのものに見えます……」
「だよな」
「中身も見てみろ。医学もちったぁかじってんだろ? クロト」
「友人の受け売りしか出来ないですが…… ええと……」
皮、爪、牙、骨、肉、血、内蔵……
ワケが分からないが、ハイブのそれとは全て違っている、という事だけは分かる。
(先生の授業、少しだけでも一緒に受けておいてよかった……)
「一見ハイブそのものですが…… これ、明らかに違いますよね」
「ああ、皮から内蔵まで「中身」の全てが変質している」
侍部隊にはハイブ種の者も多い。
ただ単に「ハイブの死体が動き出したもの」ではないと、それはすぐに分かった。
「かと言って、フォグマンでもない。
フォグマンが不死身なんて話、聞いた事ないですし」
「あの緑の光を浴びた死体が起き上がって来た、なんて話じゃなさそうだな」
「死体が動き出した、と言うには状態が良すぎます。
むしろ、光を浴びた生者がコレに変じた、と考えた方が……」
「人を怪物に……ゾンビに変えてしまう光、か」
「シェク型や人型のゾンビ同様、コイツは『ハイブのゾンビ』ってトコかい?」
「西のフォグマンがここまでやって来たと考えるよりは、そう見た方が……」
「やけに数が多い所が気になるが…… チッ、俺の頭で考えたって仕方がない。
よし、警戒任務に戻るぞ! クロト、お前は……」
「はい。 バストに向かえばいいんですね」
「やる事は普段と変わっちゃいないが、くれぐれも油断をするなよ。
もう、どこにいてもアレが出てくる可能性があるんだからな」
「了解! 斥候・クロト、定期連絡任務によりバストに向かいます!」
出る前に司令に会って行け! 渡す物があるからな」
「失くした刀の代わりを用意出来ないのは心苦しいのだがな。
こんな時だ。せめてこれくらいは持って行け」
「3000cat!? こんなに! いいんですか?!」
「こんな時じゃなきゃ、もっと用立ててやりたいくらいだ。
バストに着いたら、それで武器を買い、旅支度を整えるといい」
「ありがとうございます!」
「お前も侍。故郷に真っ直ぐ帰るってワケにはいかんだろうが……
死ぬなよ。
何があろうと生きのびて、恋人に会いに行け。
侍の誇りなんてのは忘れたっていい。
敵軍と戦って死ぬならば名誉にもなろうが、あんなモノに殺されては、な」
「……はい」
「よし。 お前の仕事は、変わらず通常任務だという事を忘れるな。
バスト、エンドイン、ドリン、を回って状況を確認。
然る後、状況がそれを許すなら、ここに戻って来い。
さあ行け、急げよ!」
「はい!」
他の偵察部隊は、ついに戻って来る事が無かった。
クロト1人の足に、斥候任務の全てが託された。
クロトは東に向かって走る。
「バスト地方」と呼ばれるこのエリアで、中心部として機能している町、バストへ。
塔から東へ…… 町と呼ぶにはあまりに見すぼらしい場所ではあるが……
この2年を過ごした「家」となった、その拠点に向かって走りだす。
東に向かって開けた荒野に、怒声と剣戟の騒音が響き渡る。
既に、辺り一面が戦場となっていた。
その中を、武器も持たずに駆け抜ける。
それをやり遂げるのが、クロトの仕事。
3拠点を巡り、定期連絡を行う。
ただの日常業務が、こんなにも恐ろしい物になろうとは……
だが、立ち止まる事は出来ない。
走り去る自分と違って、皆は塔を守らなければならないのだ。
走れるだけ、自分は恵まれている。
あるいは、司令は僕を逃がすためにこの命令を出してくれたのか。
隊長が、司令が、戦っている。
部隊の皆が、年若い自分のために、血路を切り拓いてくれている。
止まってなんていられない。
僕だって、与えられた任務はやり遂げてみせる。
だから、振り返らずに走り続ける。
「行ったか、クロトの坊主」
「やれやれ、これで一安心、かな」
「平和な南部からこんな最前線に新兵を飛ばすなんざ、スケイルの貴族ってのもロクでもない野郎のようだな」
「どいつもこいつも似たり寄ったりの訳アリばかりさ。捨て駒部隊に配属される野郎なんてのは」
「だが、せめてあいつだけでも、な」
「ああ、まったくだ」
「あいつを死なせちゃ、あの世でおやっさんに合わせる顔がねぇからな!」
駆け抜けるクロトと入れ替わるように、塔へと押し寄せていく無数の影達。
塔は、もう……きっと……
斥候の任務は戦う事ではない。逃げ隠れするのも仕事の内だ。
武器すら持っていない自分に、戦うという選択肢は無い。
襲われても立ち向かわず、逃げ出し、振り切る。
大群の暴れまわる荒野をすり抜けて走る中、この程度の傷で済んでいるのは幸運の内だろう。
足を折られなかったのは不幸中の幸いだ。
これ以上痛めつけられる訳にはいかない。
敵の目を盗み、戦場を避け、なんとかバストまでたどり着く事。
それが最優先。
が、しかし……
倒れた仲間を見つけ、どうして放置する事が出来ようか。
隆起した斜面の向こう側には、異様な「圧」を放つ個体。
服の上からでも分かる、とても死体とは思えない異常に発達した筋肉。
このままでは、あの侍は確実に殺される。
見つからずに救助出来るのは、今この瞬間しかない。
稜線を越えて来るより前の、今しか。
担いだ重さによろめきながら、バストを目指す。
ああ、この人の薙刀を借り、戦いに飛び出せたなら、どんなにスッキリするだろうか。
だが、あの光を浴びてから以降、弱りきってしまったこの身体では、ハイブゾンビ一体相手にしても勝てるかどうか分からない。
こんな役たたずになった自分一人が、皆に助けられて逃げ延びる事になるなんて……
せめて、この人だけでも助け出してみせなければ、自責の念に耐えられそうもない。
侍達の悲鳴が轟く中、戦闘を掻い潜りながら歩き続ける。
皆が戦っているからこそ、襲われる事無く歩き続けられた。
その事を考えれば、こんな程度の重さなど……
苦になんてならない。
度重なる戦争で荒れ果てた村々。
バストと塔の間には、幾つかそんな廃村があった。
最早、村として機能していない廃墟ではあったが、まだいくらか人は住んでいた。
が、しかし、僅かに残っていた家屋までもが倒壊している。
この変事に巻き込まれ、最後の住人までもが逃げ出してしまったのか。
あるいは、逃げる間もなく……
特徴的な壁が見えてきた。
崩れかけた古代の防壁を再利用して作られた軍事拠点。
バストの町だ。
正門に回り込む時間も惜しい。
防壁の欠けた部分を通り、拠点内へと潜り込む。
早く、早く駐留部隊の指揮官に報告をしなければ。
早く昏睡状態に陥ったこの人をベッドに寝かせてやらねば。
クロトはあまりに気が急いていたため、すぐには気付かなかった。
「あぁ…… そんな……!!」
変わり果てた兵舎の姿を見て、ようやく理解が及んだ。
手遅れだったのだ、と。
唯一残っていたのは、廃墟となった家屋内でキャンプをする放浪者の一団だけだった。
「何が、あったんですか…… 教えてくれませんか……」
生きているのか、死んでいるのか、焚き火の前に人間が一人転がったままで、何をどうするでもなく、じっと座って休んでいる2人組。
恐ろしさはあったが、つい先程、もっと恐ろしいモノの只中を駆け抜けて来たばかりだ。
怖気づいてなどいられない。
「見覚えのある顔だな。 坊主も、侍の端くれだったか?」
「はい」
「コイツを見ても怯えない辺り、年の割には肝が座っているらしい。
いいさ。 お前も少し休んで行くといい。 俺達の家ってワケじゃあない」
ああ、そうか。 彼らは確か、あの崩壊した村落の住人だ。
全く面識は無かったが、連絡員として駆け回る間、廃村を通る際に何度か見かけた覚えがある。
「侍達は出ていったよ。ここは持ちこたえられそうも無かったからな。
慌てて北に向かって行ったから、北の部隊と合流したんだろうな」
「そう、でしたか…… それにしたって、誰一人として残っていないなんて……」
「壁の無いここに留まる事がどれだけ愚かか、お前にだって理解は出来るだろう?」
「・・・・・・・」
ああ、そうだ。
あの数で四方八方から襲って来られたら守りようが無い。
だが、それを言うなら、エンドインも、ドリンも、防備は……
「すぐにも聖騎士に乗っ取られるかもしれない。
何もかも全部持ってっちまって、漁りに来たアタシらもアテが外れたくらいだ。
ま、幸い幾つか寝袋と取りこぼしの食料くらいは見つかってね。
ささやかな宴会をさせてもらってるって所さ」
「じゃあ、僕は皆を追って北に向かいます。
どうか、この人を休ませてあげてください。
この人は、皆のために……あの怪物に立ち向かって、立派に戦い抜いたんです……」
「その立派な侍に憧れるのは分かるがな、こんな時に人助けなんてのは自殺行為だ。
特に、剣の一本も持たずに大人をかついで歩くなんてのは、馬鹿の極みってモンだろうよ。
……持って行け、せめて、そいつのモンくらいはよ」
「……いいんですか?」
「俺達はもう、逃げ隠れするだけだからな。
殴り合いの武器なんざいらねぇ。
遠慮なく持って行け。 こいつも、その方が本望だろうさ」
「それでは、ご厚意に甘えさせていただきます……
正直、武器が無いのはあまりにも不安で……」
「お仲間もじき意識が戻るだろう。
お前もそれまで、足の傷くらい治して行ったらどうなんだ」
「そう、ですね……」
そういった女性の足は、どうやら折れているらしかった。
じっと動かず座ったままなのは、立てないからか。
もし、こんな所に敵がやって来たら彼女は逃げる事すらも……
「では、少し寝袋をお借りします。
本当に助かります……」
「いいって事さ。
他にやる事も無いからね」
「ゆっくり寝てろ。
俺達が生きてる間くらいは、見張っておいてやる」
3人目の死体が気にかかりはしたが、この2人の事は信じて良さそうだ。
傷を負ったまま走り続けるよりは、今ここである程度回復の時間を取った方がいいのは確か。
少し、眠っていくとしよう。
パチパチと、無人の町となったバストに、焚き火の心地よい音が漂う。
塔で仮眠を取ったのみで、全く寝ていなかった。
睡魔はすぐに訪れた……
目覚めた時……
目の前にいたのは、別の男だった。
その背には、死体から譲ってもらったあの武器が。
「目が醒めたのなら、さっさと行け」
「あ、あの……ここにいた人達は……」
「さあな。知ったこっちゃねえ」
「行け。俺達の気が変わらんうちにな」
感情を押し殺したような低い声。
辺りに血の跡は無い。死体も無い。
だが……
何かを引きずったような跡と、砂地に残された真新しい靴跡から、幾らか想像を巡らせる事は出来る。
「俺達は野盗じゃない。
だが、餌を鼻先にぶらさげられてちゃ落ち着かんのでな。
さっさと行け。 あの連中に感謝して、な」
「お世話になりました……
感謝します。 皆さんにも」
「フン……」
足跡を追い、一件の家屋に辿り着く。
荒らされた屋内には、戦闘の痕跡が。
小さな血の染みは見つかったが、そう大きな戦いではなかったようだ。
敵はゾンビでは無かったのだろう。
座り込んでいた2人と、助け出した侍。
あの三人の消息は気に掛かるが、喰われた訳ではないと、そう思いたい。
・・・・・・・
任務を続けよう。
荒らされた家屋内から、僅かに残された食料と、バックパックを拝借する。
元々、都市連合軍の資材なのだから、これを盗みとは考えない事にする。
虚弱になった足腰には、背負子による重量負荷軽減は心底ありがたい。
整えられた身支度は、それだけ。
武器と防具は何一つ残されていなかった。
前線基地として長く機能し続けていたこのバストも、これで終わりか……
目を閉じれば、鉄の鎧の立てるガチャガチャとした騒音や、荒っぽい連中が大声で笑い合う声が聴こえてくるようだ。
だが、もう、2年を過ごした家、新兵の兵舎も失われた。
友も、上官も、何もかもが消え失せた。
先を、急がなければ。
……来た。
ここにまで、奴らがやってきた。
崖の上から「来たぞ!」と叫ぶと、廃屋内に座っていた男達は駆け出して行った。
見逃してくれた事へのせめてもの感謝だったが、それ以上の事は出来ない。
バストを捨て、北へ……
エンドインへ向かう。
オクランの盾、監視塔、バスト、と、変事のあった戦場から距離を取り、いくらか安全にはなっただろうか。
廃村の脇を抜けながら、クロトは何に阻まれるでもなく、エンドインへと走り続ける事が出来た。
間もなく、バスト以上に崩れた防壁の姿が見えてくる。
あれが、古代の住居跡を利用した第二の拠点、エンドインだ。
またも、手遅れか。
激しい戦闘の痕跡。
血しぶきの跡も見て取れる。
兵舎は崩壊。
夕陽の下、静寂のみがエンドインを包んでいる。
軍は撤退済み。
エンドインもまた、既に死んでいた。
ならば、次の任務……
東に向かい、第三の拠点、ドリンへと向かわなければならない。
が、せめて刀の一本なりと残っていないものか。
武器を探すべく、崩壊した施設へと足を向けた、その時。
「オクランの加護、我らにあり! 制圧せよ!」
「「「おおおぉぉぉぉーーーーーッッ!!」」」
こんな時だというのに、あのヴァルテナという上級審問官は戦争を続けたいらしい。
容赦のない大戦力が、無人となったエンドインに送り込まれていた。
廃墟の探索を始めていたら、気付くのに遅れていただろう。
すんでの所で危機を回避する事が出来た。
クロトは、ドリンを目指して走り出す。
今度こそ、友軍と合流出来ると信じて……
荒野を埋め尽くす、死者の列。
哀れな農民兵が餌食となっている。
遠くから、人間の骨を破壊する音が小さく響いてくる。
悲鳴。
救いを求める絶叫。
次第に、感覚が麻痺して行く。
もう、一々気にしてなどいられない。
自分のやるべき事のみに集中し、感情を殺す。
クロトの眼前に、ドリンの町並みが見えてくる。
バスト地方に建設された三拠点の内、最後の一つとなった、ドリン。
最も防備の整ったここでなら、きっと友軍もまだ……
祈るような気持ちで、視界の通らない夜闇を駆けていく。
どうか、無事でいてくれと。
どうか、希望を断たないでくれと。
僕は必ず、レットに会いに行くのだから。
たとえこの世界が滅びようとも、必ず……
<続く>
設定:ダメージ2倍
縛り:展開にそぐわない行動は取らない(犯罪行為等)