今更説明の必要も無いであろう有名作、
『涼宮ハルヒの憂鬱』を今ごろになってようやく見た。
一気に。
ぶっ通しで、全話。
VIPがどうのとか、ブログ自演がどうのとか、
あたり構わず布教に走ったり騒いだりする狂騒とか、
ネガティブな話題ばかり目と耳に飛び込んできて、ウンザリしていた自分でさえ、ノンストップで全話見てしまうだけのパワーがあった。
何より驚いたのは、シリーズ構成の上手さ。
順当に進んでいたのではあのグイグイ引っ張るパワーは生まれなかっただろう。
各キャラクターの正体を先に見せておいて、詳細は後から追いついてくる、という見せ方には特に感心してしまった。
設定的な部分での詳細など語らなくても、この舞台と登場人物の魅力であれば視聴者はついてくる!という確信が成せる技であろう。
キスを最後に持ってくる上手さも言わずもがなで。
しかし、引っ掛かった部分もある。
コンピューター部からパソコンを強奪する件。
あれだけは納得がいかなかった。
(あの時点では)何の非も無い全くの無関係者に対して、脅迫・強奪をやってしまうハルヒの人格は、とてもじゃないが魅力的に思うことができない。
この辺り、アニメと原作でエピソードの順番がどうなってるのか私は知らないので、微妙なんですが、リベンジ編で不正を働いていたというのも、後付け的に部長を悪者に仕立て上げた方がそのマイナスイメージを補正できるからではないのだろうか、とも思ってしまったり。
奇人を主役にしての部活モノ、という事では『究極超人あ~る』が直撃世代な私ですが、戸坂先輩ってあそこまで直接的には『悪事』やってないよなぁ、と。
その一件がずーっと引っ掛かって、ハルヒというキャラ個人に関しては最後まで好きになれませんでした。
我侭で、何でも思い通りにならないと気がすまないキャラ、という域を出ているか?と問われたならば、「微妙」としか私には答えられません。
キョンも、文化祭もまだというあの時点では、「キスしないと世界が助からないから、仕方なくキスした」のでは……と見えてしまった。
そして、一番意外だったのは、『萌えの薄さ』。
サービスカットは多かったものの、なぜか萌えはあまり感じなかった。
と、言うより、深夜アニメにありがちな露骨な萌え路線ではなかった、と言うべきだろうか。
それぞれのキャラクターが、それぞれの思考を持っていて、その場その場で物語進行の都合に合わせて都合よく動かされているようには感じなかった。
特に、各女性キャラが主人公に惚れるという描写、その度合いのサジ加減を絶妙と感じている事が、大きく私の感想に影響している。
……一番気に入ったキャラは超能力者の兄ちゃんだったし。
あと一つだけ気になった点は、文化祭で歌った後のハルヒ。
感情の揺れの理由が、劇中で語られている分では腑に落ちなかった。
個人的には、
「つまらないと決め付けていた普通の高校生としての活動に有意義を感じてしまった自分への動揺」
とか、そんな感じだと思っていたのだけれども。
でも、それも直接キョンとハルヒが口に出さなかっただけで、不思議でも何でもないバンド活動にやる気を出してしまうハルヒ、という描写から、想像通りであったとも言えるんじゃないか、とか。
と、こうして感想を書いてみてまた、「上手いな」、と気付かされるのだが……
ハルヒが世界の創造(想像)主であるという設定が、
彼女の感情の一挙手一投足を視聴者(読者)にとっての最大の関心事にしている、という点。
これはもう反則と言いたいくらいに上手い作りだ。
それはもうパクりたいくらい。
彼女を気に入る事ができなかった私でさえ、ああだこうだと考えてしまっている。
これがモロにハマッたファンだと、どうなるだろうか?
……今ネット上で起きている狂騒も、納得が行こうというものだ。
できれば、もう少し行儀良く盛り上がって欲しい所ですが。
ふと、もし自分が20年早く生まれていたなら、ガンダムブーム時の『トミノコ族』を見て、同じように眉をしかめていたのだろうか、と想像を巡らせてしまう。
そして、ガンダムと比べてしまう程に評価してるのか? 俺? と、苦笑までしてしまう。
俗に言う「ハルヒ厨」のネガティブイメージで、いかに食わず嫌いになっていたかという事だな、と。
「ひぐらし」もそうだが、どうも過度に騒がれているとかえってネガテイブなイメージを持ってしまう、ヒネクレた類いの人間が自分であるようだ。
……二期アニメ化を楽しみに待つくらいに、消極的ではあるがファンにクラスチェンジさせられてしまった。
騒がれるには騒がれるだけの訳があるのだなぁ、とデカルチャーに感じ入る。
Fataとかうたわれとかも見といた方がいいのかねぇ~
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